サポーターたより

闘わない生き方

森田邦雅

「薬物依存と闘う」「病気と闘う」「己と闘う」、苦難を打ち破って逆境に打ち克つ物語は日本人なら誰もが好むところですが、残念ながら依存症の回復は闘うことに主眼をおいていません。むしろ逆です。

12ステップの第1番目のステップに「私たちはアディクションに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた」とあります。ここにおける「無力」とは、闘わないこと、闘いを諦めることを意味しています。これは自分と薬物との果てなく虚しい闘いから降りることから始めましょうと宣言しているのです。これはつまり、薬物を闘うべき相手としている限り抜け出ることのできない仕組みがあることを表現しているとも言えます。

私がダルクにやってきた約30年前、よく言われたのは「闘うのをやめろ」ということでした。薬物をやめるために来たのに「闘うのをやめろ」とか「やめることをやめろ」とか言われるので訳が分からなかったのを今でも憶えています。詳しくは書きませんが、ダルクでのリハビリ生活は困難の連続で、クリーンになってこの意味がわかるまで私の場合約3年かかりました。「クリーンと仕事と一人暮らし」が勝利の方程式だと頑なに信じてプログラムを続け、意気揚々とダルクを退寮するのですが3ヶ月ともちません。
やがて底をつき「ミーティングと仲間とハイヤーパワー」を大切に「今日だけ」を生きることを始めたら闘わないことの意味がわかってきました。アディクションは私たちの一部分であること、薬物をやめることがミーティングに行くこと、仕事や一人暮らしよりも健康な心と新しい生き方を手に入れること、「闘わない」とは何もしないことではなくて意識の方向性を変えることでした。この方向転換に欠かせないステップが第1ステップでした。

ようやくその時から始まった私のクリーンは肩の力が抜けた自然な日々の積み重ねでした。朝起きてミーティングに行き、人の話を聞いて自分の話をする、これを3回繰り返すというシンプルな毎日でした。余計なものがない単調な日々でしたが、時間が経つに連れて少しづつ自分が変えられていくことに気づいて不思議な気持ちになりました。
「闘わない」日々は「薬物を使う必要のない」日々だということにも気付きました。来る日も来る日も仲間たちと歩き続けているうちにハイヤーパワーは一つづつ私に必要なものを与えてくれました。この中に闘って勝ち取ったものは一つもありません。「求めれば、必要ならば与えられる」ミーティングで仲間が言っていました。それを実践してきただけのことです。

依存症は治らないが回復可能な病気だと言われます。これは高血圧や糖尿病と同じようなものだと考えれば、治すことにこだわるよりはその病気とうまく付き合うことが要請されます。より良く生きるために食事制限や運動をして生活するように、私たち依存者はミーティングに行って仲間と会うことでこの病気の進行を防ぎます。ここに闘いの要素は全くありません。あるのは癒やしと寛容さです。

こうして皆が回復を繋いでいくことで多くの薬物依存者は救われてきました。
「闘わない」という逆説的な生き方、これを社会の皆さんにはもっと知ってもらいたいところです。

掲載日:2019年1月7日