チョロ松の回復(1)
コロンゼとのドタバタ劇に振り回されている頃、チョロ松がやってきました。
時は1997年2月、この時代を牽引したのは安室奈美恵の歌声と木村拓哉のファッションでした。華やかなスポットライトの届かないところで、失われた10年というバブル後遺症の世を生き抜く若者たちの中には、やり場のないその生の在処を薬物の世界に求める者も出始めました。マジックマッシュルーム、スピード、低年齢化といった文字が世間を賑わせ、こうして第3次覚せい剤乱用期が幕を開けたのでした。
チョロ松は三多摩地区最大の勢力をほこっていた暴走族をまあまあな成績で卒業後「特攻服」から「黒服」を衣替えし、眠らない街歌舞伎町で客たちに酒を振る舞う仕事をしていました。
長年薬物も使っていて、ある日逮捕されました。5年の保護観察付き執行猶予をもらってどうにか出てこれましたが、それでも覚せい剤はやめられず、仕事に行かれなくなり、家から出られなくなって、部屋に入ってきた母親をおばけと勘違いしてビール瓶を投げつけたりして、とうとうH病院という都下の精神科に入院させられてしまいました。
入院中、主治医に「ダルクに行ったら?」と勧められましたが、行きたくはありませんでした。「大丈夫でーす。オレ一人でやめられます」とささやかに抵抗したものの、「行かないならしばらく退院できない」と明白に脅されたので、「わかりました。行ってみます」と返すほかありませんでした。