サポーターたより

ダルク徒然草(2)1993年~

秋元恵一郎

1993年、ドーハの悲劇により日本中が暗いムード一色だった秋の終わり頃、薬物の問題で底をついた私は東京ダルクにつながりました。出たり入ったりしながらも1年ぐらいでリハビリを終え、社会復帰を果たせました。しかし神様のいたずらか、これからアパレル関係の仕事で身を立てていこうと思っていた矢先に、私は肺病を患いました。自立して彼女もできて「さあこれから」という時でしたので、ある日高熱を発して病院に担ぎ込まれ「結核」という診断が下された時は我が目を疑いました。「いまどきケッカクってなんだよそれ」と涼しい顔したドクターに悪態をついたもののレントゲン写真にはしっかりと影が写っており、3ヶ所も破裂していたので黙るしかありませんでした。薬物を使ったわけでもないのにそのまま半強制的に入院させられました。

6ヶ月後退院しましたが、仕事を辞めていたので行くあてもなく、ダルクに来るしかありませんでした。薬物は使っていないのになんだかどん底の気分でした。そんな折、「あいつはパクられた、入院した」「あのスタッフはスベって辞めた」と久しぶりに訪れたダルクで聞くのは相変わらずハチャメチャな話ばかりで、どうにもこうにも怪しい妖気がそこらじゅうに漂う異空間でした。まともな人なら決して近寄らない、しかしそこに安心を感じてしまう自分がまた不思議なもので、今思うとあの「あるがまま」な感じ、正直さが溢れている雰囲気に引き寄せられたのかもしれません。病み上がりで先行き不安に悩まされていた自分にとって、ダルクはどん底を癒してくれるオアシスでした。

そんなある日、今は独立してセルフサポート研究所代表の加藤力さんに「スタッフをやらないか」と声をかけられました。加藤さんは当事者ではありませんが臨床心理士としてダルクを支えていました。思いもよらぬ提案だったので「ちょっと考えさせてください」と言ったものの答えは決まっていました。薬物依存症で結核療養中、こんな人間を誰が雇ってくれるでしょうか。また、当時のダルクスタッフはみな魅力的な人ばかりで「この人たちとだったら一緒に仕事させてもらいたい」と思えました。

(次回に続く)

掲載日:2018年3月19日