ダルク徒然草(4)1996年~
1996年当時のダルクの様子を業務日誌から拾ってみましょう。
2月14日 ヨシキ、帰ってきた。覚醒剤を使ってかなりヨれている。話し合いをし、薬物をやめたいとのことなのでプログラム継続。
15日 ヨシキ、具合悪そう。しかし、歩いている。
ヤマナカ、夜のNAに出たあと帰ってこない。
16日 ヤマナカ、帰ってきて話し合い。東京では薬がとまらないとのことで、今日はカプセルに泊まり明日から茨城ダルクへ移動。
5月27日 アサカゼ、本日から沖縄ダルクへ。秋元、羽田まで送り。
28日 ヤスジ、昨晩覚せい剤使用。夜中3時半にミナスをたたき起こして騒ぐ。その後朝方から行方不明。
ウミトラ、ロク、ヤスジ月曜のミーティングさぼる。厳重注意。
福岡君本人(睡眠薬依存)初来所相談。明日から通所することに。
29日 ヤスジ、夜中に戻ってきてまた使った様子。一晩中歩き続けたらしく足の裏の皮がずるむけ。本日から1週間、東京A病院に解毒入院。
ロク、東京では限界、今日から茨城ダルクへ移動。
カイジ、今日から入寮(茨城ダルクより)。東京ダルクから自立を目指す。
ジャニー、Sクリニックの紹介で来所(覚せい剤)。とりあえず週3~4日通所しながら今後の事を考えると。
テツタロー、亀有警察署に面会。次回公判の打合せ。
※名前はすべて仮名です。
来る者拒まず去る者追わず、出入りの激しい日常にあって、新米スタッフに突きつけられたダルクの現実はこれでもかというぐらい刺激的なものでした。とにかく毎日何かが起こります。そして、おおかた困り事です。ここにいると「薬物依存は本当に回復するのか?」と自信を失いかけます。それほど私は無力でした。自分の浅薄な経験だけではとても太刀打ちできない猛者たちが次々と現れるのです。先輩スタッフはこの魑魅魍魎たち一人一人に真剣に向き合って話し、相談し、愛を持ってその時のベストな選択へと導いていきます。ある者には厳しくあたり、ある者には優しく接し、問題点を共に考え、変化を促し、回復に向かうためのベストチョイスをその都度提案します。どのスタッフも絶妙な匙加減であたるのですが、これはもう職人技のようなもので一朝一夕に覚えられるものではありませんでした。
(次回に続く)