サポーターたより

ダルク徒然草(1)1985年〜

秋元恵一郎

1985年の開設以来、東京ダルクは今年(2018年)で33周年を迎えようとしています。ロイ神父の助力を得て近藤恒夫が創設した東京ダルクは、本当に何もないところから始まりました。薬物依存の支援という誰からも理解されない活動であったことを考えるとマイナスから始まったといっても過言ではありません。初期に出版された『なぜ私たちはダルクにいるのか』、通称‘赤本’には設立当初の無理難題に悪戦苦闘するスタッフたちの姿が赤裸々に描かれています。近藤さん、ケンさん、スマイルさんたちが作ったダルクの土台には多くの涙と笑いとそして愛があふれています。

近頃よく考えることがあります。近藤さんをはじめダルク第1世代の先達からバトンを受け取った私たち第2世代の役割は何だろうかと。私がスタッフになった1996年は開設から11年経過しており、建物がある、人もいる、プログラムもある、足りないのはお金だけといった状況でした。人間でいえば11歳というと一通りのことができるようになった生意気盛り、まだまだ未熟者でこれから自立するまで一山もふた山も越えなければならないといった年齢でしょうか。ダルクも目の前に立ちはだかるいくつもの山を越えてやっと大人になり、真の自立、周りからの信頼といった世を生き抜いていくうえで大切なものを作っていく時期だったように思います。薬物依存症のリハビリ施設として成長し続けるダルクにあってこれを支え、地盤を固め、少しずつ社会にひらいてゆくことが私たち第2世代に課された役割でした。

ところで、リハビリ期間を含めると私はもう24年ダルクに関わっています。現在48歳なのでちょうど人生の半分ダルクにいることになります。「思えば遠くへ来たもんだ」という海援隊の楽曲がありましたが、さながらそんな心境でしょうか。当初は3ヶ月だけリハビリする予定でしたから。

前置きが長くなりましたが、第2世代としてダルクを支える役割を与えてもらってから比較的長期間ここにいるので、この度のホームページリニューアルを契機にこれまでの東京ダルクの歩みを私目線で書き記していこう思います。

(次回に続く)

掲載日:2018年2月10日