サポーターたより

ダルク徒然草(7)ビトーの思い出 後編

秋元恵一郎

5年以上すったもんだがありました。それでもビトーとは良くも悪くも一緒に歩いてきたという思いがあったので、やはり私にとってはかけがえのない仲間でした。巷ではサザンのTSUNAMIが大ヒットしていた2000年ごろ、もう何度目かは忘れましたが、ダルクを退寮して一人暮らしをするのでビトーは引っ越しをしました。バン一杯に荷物を積んで「今度の部屋は広いから彼女と住みたいなー」「そりゃよかったね。仲良くやりなよ」なんて道中会話をしながら、新居に向かいました。荷物を運び終えて一段落し、別れ際にビトーは「アキモありがとー」といつものように控えめにお礼を言ってくれました。帰り路、これまでのこともあるので「あまり期待をしてはいけないな」と思いながらも、今度はうまくいくことを祈りました。

しかし、私の祈りは天に届きませんでした。野球観戦で友人と神宮球場に向かう途中に携帯が鳴ったので見ると茨城ダルクの岩井さんでした。ドキっとしながらとるとドスのきいた声で「ビトーが亡くなった」と知らされました。その瞬間フリーズして、まるで脳卒中でも起こったかというほど痺れて何も考えられませんでした。ビトーからは何日か前にいつもの脅迫電話があったのでリラプス(再発)しているのはわかっていたものの、まさか命まで持っていかれるとは。「神さまは酷だな」独り言ちながら野球観戦は早々に切り上げ帰宅しました。

数日後、主のいなくなったビトーの部屋を片付けに行きました。おびただしい数の酒瓶とトルエンの瓶、腐った鉄のような腐臭が強烈な血だらけの布団、ここで何が起こったかは明らかでした。炊飯ジャーを開けるときれいに一杯分だけ米をすくってありましたが、それを見たとき「ビトーは死ぬつもりなんてなかったじゃないか」と感じました。なにしろ米はまだたくさん残っていましたから。「酒と薬に溺れて、ただ寂しさを紛らわせたかっただけなんじゃないか」そんな疑念を抱きました。その後も仕事でいろいろな人の部屋を整理しましたが、主の帰ってこない部屋を片付ける事ほどつらい仕事はありません。

町屋の斎場でご両親と岩井さんと多くの仲間たちでビトーの骨を拾いましたが、座った大仏のような形をしたのど仏の骨を見たとき、「ビトーは成仏したんだな」と思いました。

掲載日:2018年12月4日